パラマウント映画(Paramount Pictures)は、アメリカの映画会社・映画スタジオのひとつ。1912年に設立された「フェーマス・プレーヤーズ」を前身とし、現在はバイアコムの傘下にある。
ワイドスクリーン規格の一つ、ビスタビジョン(ビスタサイズ)を開発したことでも知られる。
創業までの逸話[]
東欧系ユダヤ人としてハンガリーで生まれたアドルフ・ズーカー(en:Adolph Zukor)は移民労働者として、モップ拭きからスタートして毛皮商として成功した。
そして、後に劇場王となる同業者の親友、マーカス・ロウに触発され、ボードビル会社を設立。次いでニッケルオデオン興業から配給業、製作業と組んで1916年映画スタジオを設立、業界を先導する。この時ボードビリアンのジェシー・ラスキー、手袋商のサミュエル・ゴールドフィッシュ(後にゴールドウィンと改名)、当時脚本家だったセシル・B・デミルらと組んで、1913年ハリウッド初の長編映画「スクォー・マン」を製作する。
さらには、D・W・グリフィスが『國民の創生』(1915年)、『イントレランス』(1916年)を次々発表。ズーカーの経営手腕は凄まじいもので、人気スターの出演作を次々購入・製作し、市場を奪われた興業者たちの間では「ズーカーを止めろ!」が合言葉になる程であった。20年半ばでの収益はフォックスの2倍、ユニバーサルの3倍、ワーナーの5倍におよんだ。
(以降の歴史は沿革の項を参照の事)
沿革[]
- 1912年 - アドルフ・ズーカーがフェーマス・プレーヤーズを設立する。
- 1916年 - 映画製作会社「ジェシー・L・ラスキー・フィチャー・プレイ・カンパニー(1913年に設立)」と合併し、「フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー・スタジオ」となる。
- 1927年 - 社名をパラマウントに改称する。
- 1933年 - 財政難で破産宣告をされる。
- 1935年 - 再建される。
- 1949年 - 独禁法によって、興行部門を分離する。
- 1957年 - 1948年以前の大部分のトーキー作品の版権(我が輩はカモである、誰が為に鐘は鳴る、失われた週末、等)をEMKA(MCAレコードの子会社)に売却。これらの版権は現在、ユニバーサル映画が保有する。
- 1966年 - コングロマリットのガルフ-ウェスタン社に買収される。
- 1994年 - バイアコム(現・CBSコーポレーション)に買収される。
- 2003年 - 福岡市の遊戯施設運営会社・日本トレイドが福岡県久山町にパラマウント・ムービー・スタジオ・パーク・ジャパンの建設計画を発表。しかし、立ち消えとなる。
- 2005年 - バイアコムは会社分割により、パラマウントやMTVなどを新しいバイアコムとして分離。この際、テレビ番組製作会社のCBSパラマウントテレビジョン(旧パラマウントテレビジョン)はCBSコーポレーション傘下に残る。
- 2009年 - 大阪の不動産ファンドがパラマウント・ピクチャーズと共同で、吹田市エキスポランド跡地にリゾート施設「パラマウント・リゾート大阪」を構想する計画を発表。